下重暁子さんのパートナーについて、テレビ朝日の社員だったという噂がありますが、実際のところはどうなのでしょうか?お二人の出会いや馴れ初め、そして家庭生活についてはあまり知られていません。また、お子さんがいらっしゃるのか、夫婦仲はどうなのか、気になる点が多いですよね。さらに、夫が大怪我をされたというエピソードも耳にしますが、その詳細は?
今回は、下重暁子さんとそのご家族にまつわるエピソードを深掘りしてみたいと思います。
目次
下重暁子の夫は元テレビ朝日社員!?
下重暁子さんの夫は、3歳年下の元テレビ朝日社員。
報道畑を長年歩み、特派員として海外勤務も経験した、実力派のテレビマンです。実は、下重暁子さんと同じ派遣先に赴いたこともあり、まさに「仕事を通じて築かれた縁」だったのかもしれません。
そんなキャリア豊富なご主人と結婚して、もうすぐ半世紀。けれど、下重暁子さん自身はかつて「結婚願望がまったくなかった」と振り返っています。彼女の心を動かしたのは、当時まだ珍しかった「男性が料理をする姿」台所に立つ彼を見て、「生活の大切さに気づいた」と語る下重暁子さんらしい視点に、思わずハッとさせられますよね。
今もなお、料理はご主人の担当。若い頃はお互い忙しく、すれ違いの日々が多かったそうですが、会話はいつも新鮮で、出会った頃の空気感を保ち続けてこられたのだそうです。お互いを「夫婦」ではなく「連れ合い」として尊重し合いながら、70代を迎えてからは寝室を別々にし、ひとりの時間も大切にしているそうです。
決して仲が悪いわけではなく、むしろ他人以上に分かり合えているからこその距離感。それが、下重暁子さんらしい「愛のかたち」なのかもしれません。夫の名前や顔写真は公表されていませんが、その存在が彼女の生き方をそっと支えていることだけは、きっと間違いないですね。
下重暁子と夫の馴れ初め
下重暁子さんとご主人の出会いは、共にテレビ業界に身を置く者同士、同じ「報道」という現場での偶然の重なりから始まった可能性が高い
と考えられます。ご主人はテレビ朝日で報道畑を歩み、海外勤務の経験もある敏腕社員。一方、下重暁子さんもNHKのアナウンサーとして、当時の最前線で取材やキャスター業務に携わっていました。
おそらく、当時の報道現場では、テレビ局の垣根を超えて接点が生まれることも珍しくなかったはずです。特に海外取材の現場では、日本人同士が自然と助け合ったり、情報交換したりする場面も多かったと推察されます。下重暁子さんとご主人が、そんな海外の派遣先でたまたま顔を合わせ、意気投合した…というのが馴れ初めの自然な流れなのかもしれません。
そしてもうひとつ、下重暁子さんの心を動かした決定的なエピソードが「料理をする姿」。当時はまだ、「男は外で働き、女は家庭を守る」という価値観が強く残っていた時代。そんな中で、男性が台所に立つ姿はとても新鮮で衝撃的だったのでしょう。しかも、それが無理しているのではなく、自然体で暮らしを楽しむように料理していたとすれば、下重暁子さんの中で「この人とは対等に生きていけるかも」と直感したのかもしれません。
もともと結婚願望のなかった下重暁子さんが、36歳で結婚を決意した背景には、「愛」よりも「暮らし」や「人生観の共鳴」があったはず。だからこそ、夫婦でありながら互いを「他人」として尊重し、自由に、しなやかに連れ添う関係が築けたのでしょう。
いわゆる「恋に落ちた」というより、「人として惹かれた」ような出会いだったのではないでしょうか。そしてそれこそが、50年近くも続く深い信頼関係のはじまりだったのかもしれませんね。
下重暁子の子供は何人いる?
下重暁子さんとご主人には、お子さんはいません。これは自然な流れでそうなったわけではなく、夫婦でしっかりと話し合いを重ねた末に「子どもは作らない」という選択をされたそうです。
現代では「子どもを持たない人生」を選ぶ人も増えてきましたが、下重暁子さんのような世代において、こうした決断を理解し受け入れられる男性というのは、当時は本当に少なかったのではないでしょうか。
しかも下重暁子さんのように強い信念を持ち、自由を愛する女性が、自分の人生をしっかりと見つめたうえで選んだ決断。そこに対してご主人が反対することなく、むしろ共にその道を歩もうとしたというのは、ただの「理解ある夫」という枠を超えた、深いパートナーシップがあったからこそ。
「夫婦=子どもありき」という固定観念に縛られず、自分たちにとって何が大切かを見極めてきたからこそ、50年近くも変わらぬ絆を育んでこられたのでしょうね。
下重暁子と夫の夫婦仲
下重暁子さんが歩んできた50年にわたる結婚生活は、「自然体でいられる関係」として、多くの人の固定観念を優しく覆してくれるようなものでした。結婚当初、約束もルールも一切交わさなかったという下重暁子さんとご主人。だからこそ、お互いが自由でいられて、縛られることなく静かに年を重ねてこられたのでしょう。
一般的には、結婚という言葉には「こうあるべき」という形がつきまとうもの。でも、下重暁子さんにとって大切だったのは、約束よりも「自分たちらしくいられる空気感」でした。そのスタイルが心地よくフィットしていたからこそ、50年という歳月を、無理なく自然にともに過ごしてこられたのだと思います。
そんな自由な関係の中で育まれたのが、「思いやり」だったと下重暁子さんは語ります。一人の時間を愛しながらも、誰かと暮らすことで芽生える気づかい。たとえば、夫の健康や機嫌をふと気にかけるような、その優しさが彼女の中にそっと育っていったのです。
決めつけや形式にとらわれない夫婦のかたち。下重暁子さんの生き方には、これからの時代を生きる私たちにも、大切なヒントが詰まっているように感じますね。
夫の大怪我したエピソード
軽井沢の山荘でのこと。ある夜、下重暁子さんは突然、階下から響いた大きな音に目を覚ましました。眠気の中で胸騒ぎを感じ、急いで駆けつけると、なんとご主人が階段の下で倒れていたのです。どうやら寝ぼけてトイレと間違えたドアを開け、そのまま12段の急な階段を転げ落ちてしまったとのこと。
暗がりの中での出来事に、下重さんの心は一瞬で凍りついたことでしょう。
幸いその場では大きな怪我はなかったものの、翌日から吐き気やめまいが現れ、病院での診断は「急性硬膜下血腫」。突然の入院に、不安や戸惑いは計り知れなかったはずです。それでも、そんなとき手を差し伸べてくれたのは地元の友人たちでした。毎日温かい食事を届けてくれたレストランのオーナーや、移動を手伝ってくれた知人たちの支えが、どれほど心強かったことか。
自立した人生を大切にしてきた下重さんですが、本当に苦しいときに頼れる誰かの存在が、何よりの救いになることを、きっとこの出来事が教えてくれたのかもしれません。日々の小さな絆こそが、人生の大きな支えになることを感じさせてくれる、そんなエピソードです。
下重暁子は精神安定剤がないと寝られない!?
下重暁子さんは、今から約40年も前、50代に差しかかる頃から精神安定剤を飲み始めたそうです。きっかけは、ある外科医の一言。「朝に手術がある日は、前夜に眠れないと困るから、これを飲んでいるんです」と聞いたとき、「あ、自分にもこれが合っているかも」と感じたのだとか。眠りの悩みって、誰しも一度は抱えたことがあるだけに、その感覚に共感する方も多いかもしれませんね。
下重暁子さんが使っているのは、いわゆる睡眠導入剤ではなく、リラックスを促すタイプの穏やかな精神安定剤。いくつか薬を試してみたものの、合わないと感じたこともあったそうで、最終的には「一番しっくりくる」薬に戻ったそうです。通常は1錠、眠れなさそうな夜には2錠と、体調や気分に合わせて調整しているのも、彼女らしい柔軟な向き合い方ですよね。
もちろん、精神安定剤の長期使用について不安の声があるのも事実。でも下重暁子さんは、「眠れないことで心や体に影響が出るよりは、少しでも質のよい眠りを得られるほうが自分には大切」と考えているそうです。医師のアドバイスを受けながら、無理なく続けてこられたことも、現在副作用を感じていない要因かもしれません。
もともと「不眠症と言ってもいい」ほど寝つきが悪かったという下重暁子さんにとって、精神安定剤は単なる薬ではなく、日々を健やかに過ごすための「相棒」のような存在なのかもしれません。年齢を重ねる中で、自分の体や心に合うものを見つけ、無理せず続けるその姿勢からは、丁寧に生きるヒントが見えてきます。
下重暁子は今でも元彼が忘れられない
下重暁子さんには、今でも心の奥にそっとしまっている「初恋の人」がいるそうです。その存在は、人生のどんな場面でもふと浮かんできてしまうほど、彼女にとってかけがえのない記憶の一部。著書『極上の孤独』では、その人について詳しい素性や名前こそ明かされていないものの、想いの深さだけは痛いほど伝わってきます。
「新幹線に1人で乗るとき、いつも昔の恋人を待っていた」「一生に一度の恋だった」。そんな言葉からは、時間が経っても色あせない「本物の恋」が垣間見えるようです。誰にでも、ふとした瞬間に思い出してしまう特別な人がいるものですが、下重暁子さんにとっては、その彼こそが唯一「恋人」と思えた存在だったのかもしれません。
2018年に出演した『羽鳥慎一モーニングショー』では、「もう一度会いたい昔の恋人がいる」と静かに語り、視聴者の間でも話題となりました。現在の夫と36歳で結婚してからも、その記憶が消えることはなかったのでしょう。どんなに長く時が経っても、心の奥にそっと灯り続ける恋。そんな“たった一人”への想いがあることも、下重暁子さんの人生を豊かに彩っているのかもしれませんね。
下重暁子のプロフィール
下重暁子さんの名前を聞いて、鋭い視点から綴られるエッセイや、家族や孤独をめぐる深い言葉を思い出す方も多いのではないでしょうか。1936年5月29日生まれ、東京都出身。身長は153cm、血液型はB型。穏やかな見た目からは想像もつかないほど、芯の通った強い思想を持ち続けてきた女性です。
早稲田大学教育学部国語国文科を卒業後、1959年にNHKへ入局。アナウンサーとして教養番組や報道、音楽番組など幅広く活躍し、女性アナウンサーの先駆けとして注目を集めました。フリーに転身後は民放のキャスターを経て、文筆活動に軸足を移し、次々と話題作を世に送り出しています。
著書『家族という病』は50万部を超えるベストセラーとなり、多くの人が当たり前だと思っていた“家族”という存在に改めて目を向けるきっかけを与えました。他にも『極上の孤独』など、人生の意味や自立、孤独と向き合う姿勢をテーマに、等身大の言葉で共感を集めています。
栃木県宇都宮市出身で、家系には江戸時代の御典医がいたという由緒も。NHK時代の同期には野際陽子さんもおり、長いキャリアの中で培った経験が作品の奥行きにつながっているのかもしれません。
2005年から2011年までは、日本自転車振興会(現JKA)の初代会長として女子競輪の復活にも尽力。放送、執筆、社会貢献と多方面で活動を続ける下重暁子さん。その言葉には、年齢を重ねるごとに深みが増し、今もなお多くの人の心に静かに響き続けています。
下重暁子の現在と今後の活動
2025年も、下重暁子さんは変わらず力強く活動を続けています。新刊のタイトルは「私は夕暮れ時に死ぬと決めている」。何とも彼女らしい、静かでありながら深い余韻を残す一冊が登場予定です。読み進めるごとに、人生の終わり方について考えさせられる、そんな一冊になりそうですね。
さらに、NHK文化センターではエッセイ教室も開催中。2025年4月から7月にかけて複数回の講座が行われ、多くの受講者に、言葉の使い方や文章の奥深さを丁寧に伝えています。人生の先輩としての温かいまなざしと、妥協しない表現への姿勢は、多くの人にとって貴重な学びとなっているはずです。
また、人生相談コーナーへの寄稿も話題に。読者から寄せられた悩みに、下重暁子さんならではの視点でそっと寄り添う回答が人気を集めています。正しさよりも、自分らしさを大切にするアドバイスは、年齢や立場を問わず多くの人の心に届いています。
そして2024年に出版された新刊「怖い日本語」も、発売直後から話題に。言葉の力、そしてその裏に潜む感情や社会背景まで読み解くような深みがあり、言葉に敏感な読者の間で注目を集めています。また、「90前後で、女性はこう変わる」という著書も刊行され、年齢を重ねることのリアルと美しさが描かれていました。
「極上の孤独」などでも語られてきたように、下重暁子さんは常に「今」を生きることの意味を見つめ続けています。2025年の活動もまた、年齢を問わず多くの人の心を揺さぶる力を持っていると感じずにはいられません。これからの一冊一冊が、私たちにどんな問いを投げかけてくれるのか。楽しみに待ちたいですね。
まとめ
・下重暁子さんの夫は3歳年下の元テレビ朝日社員で、報道特派員として海外勤務経験もある実力派のテレビマン。
・結婚のきっかけは、料理をする夫の姿を見て「生活の大切さ」に気づいたこと。下重さんにとっては「型にはまらない暮らし」が結婚の決め手だった。
・二人の出会いは海外取材などの現場での偶然が重なった可能性が高く、「人として惹かれた」ことが、50年続く関係の礎になっている。
・夫婦には子どもはおらず、「子どもは作らない」と話し合って決めた。当時としては非常に先進的な選択であり、強いパートナーシップの表れでもある。
・下重さんと夫は、結婚後も約束やルールを持たず、自由で思いやりにあふれた関係を築いてきた。寝室も別々にするなど、個を尊重した暮らし方を実践している。
・軽井沢の山荘で夫が階段から転落し「急性硬膜下血腫」と診断されたが、幸いにも大事には至らなかった。このとき支えになったのは周囲の友人たちだった。
・下重さんは50代から40年近く精神安定剤を使用。睡眠の質を保つため、穏やかな作用の薬を必要に応じて服用しており、自分らしい健康管理を続けている。
・人生で唯一「恋人」と呼べる存在がかつていたと明かしており、結婚後もその想いを胸に秘めている。初恋相手の詳細は明かされていない。
・下重暁子さんはNHKの元女性アナウンサーであり、フリー転身後は作家・評論家として活躍。『家族という病』『極上の孤独』などがベストセラーに。
・2025年も精力的に活動中で、新刊『私は夕暮れ時に死ぬと決めている』を発表予定。NHK文化センターでのエッセイ講座や人生相談も継続して行っている。