1970年代を代表する歌手・錦野旦さん。スター錦野といった愛称で親しまれ、バラエティ番組にも数多く出演されていました。そんな錦野旦さんの奥様との意外な関係について詳しく調べてみました!
目次
錦野旦の現在の嫁は力丸ヒロ子
力丸ヒロ子 プロフィール
職業:ファッションアドバイザー
生年月日:1952年7月29日
星座:しし座
血液型:A型
出身地:福岡県
身長:164cm
体重:47kg
趣味・好きなこと
趣味:ロト、ナンバーズなどのくじや数字の研究
好きな色:白、ピンク
ペット:オカメインコ(鳥)
性格
長所:前向きでポジティブな性格
短所:せっかち
キャリア
経歴:もともと客室乗務員をしていましたが、後にファッションアドバイザーに転身。
デビュー年:明記はありませんが、客室乗務員からの転身後から活動開始。
主な出演作品
テレビ:『徹子の部屋』、『オレミングの法則』、『おはようしずおか』、『ルックルックこんにちは』
雑誌:ロト・ナンバーズ「超」的中法に寄稿。『達人スター☆錦野旦の「この世に数字がある限り」』にも登場
著書:『力丸専務が教える富と運気も引き寄せる20の極意』
馴れ初め
錦野旦さんと力丸ヒロ子さんの馴れ初めについては力丸ヒロ子さんは、元客室乗務員をされていたご経験があり、飛行機の中で知り合ったと言われています。現在は錦野旦さんの個人事務所の専務をされていることから知人を介して知り合ったのでは無いでしょうか。
結婚式の日時や会場は?
2人の結婚式については詳細は明かされていないようですが、親戚や親しい友人だけで執り行われたのでは無いでしょうか。
宝くじやナンバーズの予想がすごい!?
錦野旦さんと妻の力丸ヒロ子さんは、宝くじ「ロト・ナンバーズ」の高額当選で注目を集めています。特に力丸さんは「ナンバーズの達人」や「THE 匠」といった異名を持ち、5年間で約3800万円、総額1億円に及ぶとされる当選を達成しているとされています。
この驚異的な的中率が話題となり、力丸さんは宝くじ必勝対策の専門雑誌「ロト・ナンバーズ『超』的中法」にてレギュラー連載を持つようになりました。また、錦野旦さんの公式サイトには「当せん日記」のコーナーが設けられ、二人の当選記録が公開されています。
出典:https://www.nishikino-kikaku.jp/
錦野旦の前の妻は武原英子
武原英子さんは、1946年5月21日に大阪府堺市で生まれ、1967年にNHKドラマ『素顔の青春』でデビューした清楚なルックスの女優です。彼女は1970年のドラマ『北条政子』での出演を機に注目され、ナショナルゴールデン劇場『だいこんの花』ではその存在感が際立ち、女優としての地位を確立しました。
その後も1971年の映画『関東テキヤ一家 浅草の代紋』や、1972年の『麻薬売春Gメン』など、多くの映画に出演し幅広く活躍します。1980年に歌手の錦野旦さんと結婚し、2人の子供を授かったことを機に育児に専念するため芸能活動を休止しました。
育児期間中、錦野旦さんは多忙なアイドル歌手として活躍を続けており、子供の授業参観にもステージ衣装のまま駆けつけるなど、家族への関わりも見せていました。
馴れ初め
当時、バラエティ番組に女優が出演することは珍しく、女優と歌手が接点を持つ機会もほとんどありませんでした。しかし1978年6月、北海道で行われたチャリティー・ゴルフコンペで錦野旦さんと武原英子さんは初めて出会いました。
錦野さんは持っていた大きなカバンを男性用楽屋に置けなかったため、女性用楽屋のドアをノックしたところ、出てきたのが武原英子さんでした。彼女のファンだった錦野さんにとって、この偶然の出会いは特別なものとなりました。一方、武原さんも錦野さんに好感を抱いたようです。
ゴルフコンペ後、札幌で2人で食事をしたものの、錦野さんは彼女が既婚者であると誤解していたため、特に進展はありませんでした。しかし、彼女が独身であることを知ると、2人は急速に距離を縮め、デートを重ねるようになります。そして約2年後の1980年に、晴れて結婚に至りました。
子供は娘が2人
元妻である武原英子さんと錦野旦さんの間には、二人の娘、巴さん(ともえ)と明花さん(さやか)さんがいます。武原さんが1996年に亡くなった後、錦野さんは再婚しましたが、二人の娘は父親の再婚を受け入れ、家族としての新しい生活に順応していったとされています。この家族の絆は錦野旦さんにとっても支えとなっており、家族全員が心を合わせて過ごしている様子が窺えます。
長女の巴さんについては、かつて目黒にあった「ゴローちゃん」という焼肉店で働いていたことがあるそうです。目黒のゴローちゃんは、ホルモンや手羽先、味噌ダレの串カツなど名古屋系のメニューが人気だった焼肉店ですが、現在は閉店しています。
娘さんたちは一般人であり、詳しい情報や顔写真は公開されていませんが、美男美女である錦野旦さんと武原英子さんの子どもですので、素敵な女性に成長されたことでしょう。
武原英子とは死別だった
1988年、子供の成長に伴い武原さんは芸能界に復帰しましたが、1996年に乳がんにより50歳の若さで亡くなっています。
錦野旦の年収は?
錦野旦さんの年収
については次のように予測されています。
過去の年収: 昭和45年(1970年)当時、錦野旦の年収は3000万円でした。現在の価値に換算すると約1億2000万円に相当します。この時期、彼は非常に人気があり、結婚式で一曲歌うだけで100万円を請求していたとされています1。
最近の収入: 2024年5月には、彼の月収が数千万円に達しているとの情報もあります。具体的には、人気読者モデルの小森純が月収1500万円を暴露した際に、錦野旦も同様に高額な月収を得ていることが示唆されています1。
ギャラの変動: 錦野旦は過去に比べてギャラが減少した芸人たちと同様に、時代による影響を受けています。例えば、一発屋芸人たちの中には全盛期には高額なギャラを得ていたものの、現在は非常に低い収入になっているケースもあります1。
このように、錦野旦の年収は彼のキャリアや人気度によって大きく変わってきました。特に最近では、彼の活動が再評価されていることから、高い収入を維持していると考えられます。
まとめ
現妻・力丸ヒロ子のプロフィール
職業:ファッションアドバイザー、元客室乗務員
生年月日:1952年7月29日、しし座、A型
出身地:福岡県、身長164cm、体重47kg
趣味:ロト・ナンバーズ等のくじ・数字研究
主な出演:『徹子の部屋』『ルックルックこんにちは』など
馴れ初め
錦野旦さんとは飛行機内での出会いがきっかけとされ、現在は彼の個人事務所で専務を務めています。
ロト・ナンバーズ当選実績
力丸さんは「ナンバーズの達人」として5年間で約3800万円の当選、累計1億円とも言われ、「ロト・ナンバーズ『超』的中法」雑誌でレギュラーを担当しています。夫婦の当選記録は錦野旦公式サイトの「当せん日記」にも掲載。
前妻・武原英子さんについて
生年月日:1946年5月21日、大阪府堺市出身
デビュー:1967年に『素顔の青春』で女優としてスタート
代表作:『北条政子』『だいこんの花』などで注目
1980年に錦野旦さんと結婚し、二人の娘・巴さんと明花さんをもうけました。
結婚の馴れ初め
1978年のゴルフコンペで偶然出会い、親交を深めたのち1980年に結婚。
死別
1988年に芸能界復帰するも、1996年に乳がんで50歳で死去。
年収に関する情報
昭和45年当時の年収
約3000万円(現在の1億2000万円相当)。
最近の収入
月収数千万円に達するとの情報もあり、活動再評価により高い収入を維持しているとされています。