神田愛花の若い頃はモテモテだった!顔は変わった?

元NHKで今はフリーアナウンサーとして活躍している神田愛花さん。

そんな神田さんは若い頃からモテモテだったと噂になっています。

今回は、神田さんの若い頃から現在までを時系列順にご紹介します。

神田愛花の若い頃がかわいい

出典:TVガイドweb

神田さんの若い頃を順番に紹介していきます。

神田愛花の小学生の頃

出典:STORY web

こちらは、神田さんが小学生の時の写真です。とてもかわいらしいですね。

神田さんは当時、服やランドセルなど身の回りの物をすべてピンクで揃えていたそうです。周りからは「ピンクちゃん」とよばれていじめられていたこともあったとか。

ですが神田さんはそんなことは意に介さず、ラッキーカラーとして使い続けていました。

小学生だと自分が周りと違うことを嫌がる子も多いのですが、このころから周りを気にせず、自分を貫いているような子供だったのですね。

また、お兄さんや同じマンションの男の子とばかり遊んでいたそうでわんぱくでした。小学校の時にスカートめくりが流行ったときには、「なんで逆はないんだろう」とお兄さんで訓練した後にクラスの子にやって、怒られることもあったそうです。

神田愛花の中学生の頃

小学校受験に失敗していた神田さんは、学習塾に通って勉強していたこともあって、第二志望校である私立大妻中学校に入学しました。中学校の時には生徒会長を務めています。

このころから整った顔をしていますね。

神田さんがアナウンサーを目指すきっかけはこのころです。神田さんが中学受験で通ってた進学塾「日能研」は、民放クイズバラエティ番組の「平成教育委員会」と、タイアップしていました。中学受験を終えた後の祝賀会では、MCの逸見政孝さんがゲストとして参加していたのです。

周りで好き勝手に話していた子供たちが逸見さんが現れた瞬間、シーンとなって話を聞くようになりました。その場を一瞬で掌握する逸見さんを見て、神田さんはアナウンサーを目指すことになったのです。

神田愛花の大学生時代

神田さんは、学習院大学理学部数学科に進学しました。

大学在学中は、ファッション雑誌で読者モデルをしたり、3年生の時には「ミス学習院コンテスト2001」で「準ミス学習院」になったりしています。

神田さんがアナウンサーをはっきりと希望するようになったのは、エキストラとして深夜の音楽番組にも出演していた時でした。

番組に出た際、事前に話すセリフが決まっている番組よりも、取材をして事実を伝えるニュースの方が自分に合うと思い、アナウンサーになりたいという気持ちを強くします。

アナウンサーになるため、民放全局の面接を受けたものの結果は不合格。最後に受けたNHKでは面接官に「もっと調べてから来ないとダメだよ。」と言われ、不合格を覚悟しましたが、なんと結果は合格。NHKに入社し、アナウンサーの道に進むことになります。

神田愛花のアナウンサー時代

2003年にNHKに入社した神田さんは、福岡放送局で4年間を過ごします。

福岡では希望していた情報番組である「おっしょい福岡」「情報ワイド福岡一番星」などに出演。

2005年からは全国区の番組にも出演するようになり、「サタデースポーツ」などのキャスターや、第56回紅白歌合戦の企画にも出演するようになりました。

2007年には東京に移動になり、「爆笑オンエアバトル」6代目司会者や「2010年FIFAワールドカップ」のスタジオ進行などで全国のテレビに出演することが増えます。

一方、東京勤務になってからは、社会勉強を兼ねて、合コンによく行っていたそうです。何日間無料でご飯が食べられるか挑戦していたことも。合コンに参加した3人の男性の内、2人から後日デートに誘われたこともあったそうです。才色兼備な神田さんですから男性も放っておかないですよね。

そんな神田さんですが、2012年3月にはNHKを退社しフリーアナウンサーに転向しました。神田さんはその理由について、

「女性一人で情報番組や報道番組をメインで任されるキャスターを目指していた。しかし私が在籍していた時は、40代まで経験を積んで、視聴者の皆さまと現場のディレクターさんたちから信用を得られた人がそういったポジションにつくという風潮があった」

出典:東スポWEB

「31歳から32歳くらいの時に東日本大震災を経験した。そこで人の日常って、真面目に普通に生きていても急になくなると実感した。私、明日生きてないかもしれないと思った。夢に向かってあと10年ここで頑張るのか、外に出たらチャンスがあるかもしれない。明日が来るか分からないから辞めよう」

出典:東スポWEB

と語っています。

報道機関にいた神田さんは、ニュースでは流れないような悲惨な映像を見る機会もあったそうです。

もともと安藤優子さんのようなメインキャスターを目指していた神田さんは、東日本大震災をきっかけにNHKをやめて、外に出ることを選択しました。

神田愛花の現在

出典:産経新聞

神田さんは2012年7月にセント・フォースに所属しフリーアナウンサーとして活動を開始しました。

その後は、フジテレビ「めざにゅ~」のメインキャスターや日本テレビ「ぽかぽか」などさまざまな番組で活躍していきます。

プライベートでは2015年の2月からお笑いコンビ「バナナマン」の日村勇紀さんと交際がスタート。2015年4月には、2人が救急車の音を聞いてベランダに出たところを「フライデー」で報道されることに。

その後、お互いの母親の反対にあいながらも、交際から3年後の2018年4月にふたりは結婚することになりました。

神田愛花の若い頃についてネットの声

神田さんについてネットの声を集めてみました。

一方、神田さんは鼻を整形したのではという意見もあります。

ですが、写真を見比べてみても整形したというほどの変化は見られません。

若い時の写真を見ても大きく変化しているようには見えないので、おそらくデマであると思われます。

まとめ

今回は神田さんの若い頃について調べてみました。

中学生くらいから今の面影があり、神田さんは若い頃からきれいでした。

今後の活躍が楽しみですね。

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