新日本プロレスを支えてきたベテランレスラー、天山広吉さん。力強いファイトスタイルと存在感で多くのファンを魅了してきましたが、実は素顔はどんな人なのか、気になる方も多いのではないでしょうか?学歴やプロレスキャリア、必殺技の秘密、さらには病気の噂やプライベートについても掘り下げていきます。悪役としてリングに立ちながら、本当はとても優しい一面もある天山広吉さんの魅力に、じっくり迫ってみたくなりますね。
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天山広吉は何者?プロフィール
【4/28(月)23:15~OA】
テレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」に激レアさんとして天山広吉選手が登場!https://t.co/uuruEP7UEy#njpw pic.twitter.com/a1QHjczG5J
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) April 24, 2025
天山広吉さんは、1971年3月23日生まれ、京都市出身のプロレスラーです。本名は山本広吉さん。
小さい頃からスポーツに親しみ、ボディビルやバスケットボールに打ち込んでいた経験が、のちにプロレス界で大きく花開くことになりました。恵まれた教育環境の中で育ったことも、天山広吉さんの芯の強さを支えているのかもしれませんね。
新日本プロレスに所属している天山広吉さんは、その存在感と熱いファイトスタイルで、今もなお多くのファンに愛され続けています。特に、必殺技のモンゴリアン・チョップは一度見たら忘れられない迫力で、観客を一瞬で引き込んでしまうんです。リング上では、キャラクターの魅力と確かな技術を絶妙にミックスさせて、唯一無二の輝きを放っています。
プロレスキャリアでは、1993年にヤングライオン杯で優勝。若手の中でも頭ひとつ抜けた存在となり、ここから一気に注目を集めました。その後も数々のタイトルを獲得し、まさにプロレス界に欠かせない存在へと成長していったんですよね。
デビュー戦は1991年1月11日、今治市公会堂で松田納さんと対戦。このときからすでに、力強いリングワークと個性あふれるキャラクターで注目を浴びていました。それから30年以上、ずっと第一線で戦い続けている天山広吉さん。今なおリングに立ち、ファンに熱い気持ちを届け続けている姿には、思わず胸が熱くなります。
天山広吉の学歴
天山広吉さんは、日本を代表するプロレスラーとして長年ファンに愛されてきた存在ですよね。1971年3月23日、京都府京都市で生まれ、幼い頃から運動神経抜群だったことが知られています。
小学校は京都市立梅津北小学校を卒業し、中学校は京都市立北野中学校へ進学。どちらも地元・京都市内にある学校で、地域に根差した環境でのびのびと成長していきました。学生時代の天山広吉さんは、特にボディビルとバスケットボールに情熱を注いでおり、スポーツに打ち込む日々を送っていたそうです。
高校は京都府立山城高等学校に進学。こちらは京都府内でも比較的偏差値の高い学校として知られており、学業と部活動を両立しながら、さらなる体力と精神力を養っていきました。このころから、身体作りへの意識もかなり高かったと言われています。
高校卒業後は、新日本プロレスが運営する「新日本プロレス学校」に入学。ここで本格的なプロレスの基礎を叩き込まれ、1990年に晴れて新日本プロレスに入門。プロレスラーとしてのキャリアをスタートさせることになったのです。
こうして見ると、天山広吉さんの学歴や育った環境は、後の力強く迫力あるリングパフォーマンスを支える大きな土台になっていることがよくわかりますよね。地元・京都で培った精神力と、スポーツへのひたむきな情熱が、プロレス界のレジェンドを生み出した原点だったのかもしれません。
天山広吉のプロレスラー経歴
天山広吉さんは、1991年1月11日、今治市公会堂でついにプロレスデビューを果たしました。デビュー戦の相手は、後にエル・サムライとして名を馳せる松田納さん。当時は本名の山本広吉としてリングに上がり、若き日の天山広吉さんはまだ粗削りながらも、すでにただならぬ存在感を放っていたといわれています。
その後、天山広吉さんは新日本プロレスの若手選手として少しずつ頭角を現し、熱心なファンの応援を受けながら、着実に人気を高めていきました。そして1993年、ヤングライオン杯での優勝をきっかけに、大きな転機が訪れます。この優勝を手土産に、天山広吉さんはヨーロッパへの武者修行に旅立ちました。
特にCWA(Catch Wrestling Association)ではランス・ストームさんを破り、世界ジュニアヘビー級王座を二度も獲得する大活躍!海外でもそのパワーとスキルが認められ、国際的な評価をぐっと高める結果となりました。ここで得た経験は、その後のキャリアを大きく支える財産となったのです。
帰国後も勢いは止まらず、天山広吉さんはIWGPタッグ王座、そしてIWGPヘビー級王座といった新日本プロレスの名だたるタイトルを次々に獲得。トップレスラーとしての地位を確固たるものにしていきました。その圧倒的な強さと豪快なファイトスタイルに、ますます多くのファンが魅了されていきます。
さらに、蝶野正洋さんとの最強タッグ『テンコジ』でも大きな話題に。息の合ったコンビネーションとダイナミックな試合展開で、数々の名勝負を生み出し、プロレス界の伝説にその名を刻みました。『テンコジ』といえば、今でも多くのファンに語り継がれる名タッグですよね。
また、nWo JAPANの一員としてヒールターンを果たした時期も、天山広吉さんのキャリアを語る上では外せません。当時は悪役ながらも絶大な人気を集め、リング上での存在感はまさに別格。単なるヒールにとどまらず、観客との駆け引きやストーリーの深みを持たせる役割まで果たし、プロレスの新たな魅力を発信していました。
こうして見ていくと、天山広吉さんの歩みは、挑戦と成長の連続。リングの上でも外でも、常に進化し続けるその姿に、惹かれる人が後を絶たないのも納得ですね。
必殺技がすごい!
天山広吉さんといえば、やっぱり必殺技の迫力がたまりませんよね。中でも代表的なのが、あの「テンザン・ツームストーン・ドライバー(通称TTD)」です。この技、実はかつて危険すぎると議論を呼んだこともあったんです。受け手の首を抱えるスタイルのため、かなりのリスクがあったそうで…。でも天山広吉さんは、そんな懸念にきちんと向き合い、膝をつく安全性の高いフォームへと改良。今では特別な場面だけで繰り出す、大切な切り札になっているんです。
そして、もう一つ忘れてはいけないのが「アナコンダバイス」。この技は袈裟固めとV1アームロックを組み合わせた、天山広吉さんオリジナルの絞め技です。特にG1 CLIMAXを制したときには、アナコンダバイスで何度も観客を沸かせましたよね。本人も「腰に強烈なGがかかるからここぞという時にしか使わない」と語っていて、その本気度が伝わってきます。
さらに、天山広吉さんといえばやっぱり「モンゴリアン・チョップ」!両腕を振り下ろして叩きつける独特のフォームは、一度見たら忘れられないインパクト。観客からの人気も抜群で、試合が盛り上がるクライマックスには欠かせない技です。ちなみに、天山広吉さんの頭蓋骨は「常人の2割増しで厚い」と言われているとか。あのタフネスぶりにも納得ですよね!
ほかにもムーンサルトプレスやマウンテン・ボムなど、多彩な技を駆使する天山広吉さん。ムーンサルトではその驚異的な身体能力を、マウンテン・ボムでは大柄な体から放たれる豪快な一撃を見せつけ、どの試合でもファンを釘付けにしています。こうして振り返ると、天山広吉さんのプロレススタイルは本当に唯一無二。技一つ一つに、彼の歴史と魂が詰まっているのが伝わってきますね。
悪役レスラーだけど本当はいい人
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
天山広吉さんといえば、リングでは怖~いヒールキャラを演じているものの、実はファンや関係者の間では「めちゃくちゃ良い人」として有名なんです。なかでも特に印象的なのは、家族を何より大切にしている姿勢。試合後のインタビューでも「早く帰って子供をお風呂に入れなきゃ」と話すなど、プライベートでは完全に優しいパパモードに切り替わるんですよね。このギャップ、たまらないですよね。
若手時代からも、天山広吉さんは周囲のレスラーたちに可愛がられてきました。誰に対しても腰が低くて、礼儀正しくて、まさに愛されキャラ。ヒールを演じているときでさえ、リングを降りれば誰にでもフランクに接してくれるので、プロレス界でも天山広吉さんの人柄を絶賛する声は後を絶ちません。
そしてSNSを見ても、家族への深い愛情がひしひしと伝わってきます。親孝行エピソードや、家族と過ごす幸せな時間を大切にしている様子は、フォロワーからも「理想のパパ」「こんな旦那さん素敵!」と絶賛されています。こうして、公私ともに家族を一番に考える天山広吉さんの姿勢こそが、プロレスファンからも絶大な支持を集め続ける理由なのかもしれませんね。
天山広吉は病気?
2023年4月、天山広吉さんが体調不良により試合を欠場することが発表され、ファンの間には大きな衝撃と心配の声が広がりました。新日本プロレスの公式サイトでも、「天山広吉選手の試合を楽しみにされていた皆様には、大変申し訳ございません」と丁寧に謝罪が掲載され、あらためて彼の存在の大きさを感じさせる一幕となりました。今後の復帰時期については、現時点で明確な見通しは立っておらず、ファンはただ無事を祈りながら見守るしかない状況が続いています。
天山広吉さんは、これまでも首を中心とした怪我に苦しんできました。激しいプロレススタイルゆえに、何度もリングを離れざるを得ない事態に直面してきたんですよね。緊急手術や長期療養も経験しながら、それでも復帰を目指してリングに戻ってきたその姿に、どれだけのファンが勇気をもらったことでしょう。
現在、天山広吉さんは「頸椎後縦靭帯骨化症」という持病とも闘っています。この病気は、神経を圧迫してしまうリスクがあり、症状が進行すると深刻な影響を及ぼしかねません。そのため、専門医による治療と慎重な経過観察が必要とされており、今は体を第一に考えながら最善の方法を模索している段階です。
リングを盛り上げ続けた天山広吉さんだからこそ、今はしっかりと休養して、またあの元気な姿を見せてほしいですよね。ファンみんなが、焦らずゆっくり、心から復帰を待ちましょう。
天山広吉は結婚して妻や子供がいる?
天山広吉さんは、2002年12月13日に高橋理絵さんと結婚しています。
しかもこの結婚、なんと8年間という長い交際期間を経て実現したんですよね。媒酌人を務めたのは、盟友でもある蝶野正洋さんとその奥様。まさにプロレス界ならではの、豪華で温かい結婚式だったことが想像できます。
ちなみに、理絵さんの顔画像は公には公開されていないため、どんな方なのかは謎のまま。でも、天山広吉さんが長年連れ添った相手ですから、きっと素敵な女性に違いありませんよね。
二人の間には、ちょっとユニークなエピソードもたくさんあります。例えば、夫婦喧嘩がきっかけで天山広吉さんの必殺技が誕生したという話も!結婚前に喧嘩した際、なんと理絵さんがスリーパーホールドをかけたことが、後の技のインスピレーションになったとか。家庭の中から生まれた技なんて、愛情と笑いが詰まっていてほっこりしますよね。
また、普段の会話でも仲の良さがにじみ出ています。天山広吉さんが「愛してるよ」と伝えたところ、理絵さんは「わかってるよ」とサラリと返したという微笑ましいやり取りも。自然体で支え合っている夫婦関係が垣間見えます。
結婚式当日は、プロレス界のオールスターたちも駆けつけたそうで、披露宴では友人たちからのビデオレターがなんと下ネタ全開で30分も続いたという爆笑エピソードも。理絵さんは結婚当初、天山広吉さんを「広吉」と呼んでいたそうですが、子どもたちが生まれてからは「パパ」「ママ」と自然に呼び合うようになったのだとか。家庭の温かさと優しい時間が、彼らの日常にはしっかりと流れているのが伝わってきますね。
皆様から沢山のお祝いメッセージを頂きまして、本当にありがとうございました🙌🙌
久しぶりのケーキ、胸焼けしないように食べちゃいま〜~す🎂🎂 pic.twitter.com/pOmT8JF7Ln— 天山 広吉 (@TENZAN323) March 23, 2025
リングの上では猛々しくても、家では家族想いの優しいパパ。そんなギャップも、天山広吉さんが長く愛され続ける理由の一つなのかもしれません。
天山広吉の今後
天山広吉さんは、2025年も変わらず精力的に活動を続けています。1月7日には、自身のトレーニングプロジェクト「TTGC(Tenzan Training Gym Challenge)」をスタート。新年早々から、天山広吉さんの鍛錬スタイルが紹介され、特に基礎を大切にしたメニューが組まれるなど、彼らしい熱いセッションが行われました。そして1月14日には、小島聡さんもセッションに登場し、プロレスファンにとってはたまらない展開が続きましたね。
3月23日には天山広吉さんが誕生日を迎え、SNSにはファンからたくさんの祝福メッセージが寄せられました。長年、新日本プロレスを支え続けた存在だけに、世代を超えて愛されているのが伝わってきます。
2025年の活動では、特に天山広吉さんの代名詞でもある「モンゴリアンチョップ」が大きな注目を集めています。後輩選手に直接技を教える場面も増えていて、技を通してプロレスの魅力を未来へとつないでいる様子がとても印象的です。
さらに最近では、天山広吉さんが自身のキャリアを振り返りながら、これまであまり語られてこなかった秘話を明かすシーンもありました。こうした素顔の部分が見えることで、ますますファンとの距離が縮まったように感じられます。
1月のTTGCでは、単なるトレーニングだけでなく、天山広吉さん自身の経験やトレーニング哲学についても語られる予定とのことで、プロレスファンにとっては見逃せない内容になりそうですね。SNSでも日々の思いやトレーニングの様子を発信しており、2025年の活動は試合だけにとどまらず、ファンとの絆をさらに深める一年になりそうです。
まとめ
■天山広吉は何者?プロフィール
1971年3月23日生まれ、京都市出身。
本名は山本広吉、小さい頃からスポーツに親しむ。
新日本プロレス所属、必殺技はモンゴリアンチョップなど。
1991年にデビューし、長年第一線で活躍。
■天山広吉の学歴
京都市立梅津北小学校、京都市立北野中学校卒業。
京都府立山城高等学校卒業後、新日本プロレス学校でプロレスを学ぶ。
■天山広吉のプロレスラー経歴
1991年デビュー、1993年ヤングライオン杯優勝。
ヨーロッパ武者修行で世界ジュニアヘビー級王座2度獲得。
IWGPヘビー級、タッグ王座獲得、蝶野正洋とのテンコジ結成。
nWo JAPANでも活躍し、ヒールターン経験あり。
■必殺技がすごい!
テンザン・ツームストーン・ドライバー(TTD)
アナコンダバイス、モンゴリアンチョップ、ムーンサルトプレス、マウンテン・ボムなど。
迫力満点の多彩な技が魅力。
■悪役レスラーだけど本当はいい人
家族愛にあふれ、プライベートでは優しいパパ。
若手レスラーや関係者からも人柄を高く評価されている。
■天山広吉は病気?
2023年に体調不良で欠場。
頸椎後縦靭帯骨化症を患い、現在は治療と経過観察中。
ファンから復帰を待つ声多数。
■天山広吉は結婚して妻や子供がいる?
2002年に高橋理絵さんと結婚、8年間の交際を経てゴールイン。
結婚式には蝶野正洋夫妻が媒酌人を務め、プロレス界の仲間が多数参列。
家庭内の微笑ましいエピソードも多数。
■天山広吉の今後(2025年)
1月に「TTGC(Tenzan Training Gym Challenge)」開始。
モンゴリアンチョップを後輩に伝授。
SNSで日々のトレーニングや思いを発信、ファンとの交流も大切に。
自身のキャリアを振り返り、秘話も公表するなど活動中。