日本を代表する女優であり歌手でもあったいしだあゆみさんの訃報が伝えられ、多くのファンが衝撃を受けています。時代を彩った名曲や数々のドラマでの名演技が思い出される中、死因が「甲状腺機能低下症」であったことが公表されました。この病気について詳しく知らない人も多いかもしれませんが、体の代謝やエネルギー消費に関わる重要な疾患です。健康な日常生活を送る上で、知らず知らずのうちに影響を受けることもある甲状腺の問題。
なぜこの病気が深刻なのか、そしてどのような症状があるのかを知ることで、改めていしだあゆみさんの最期について考えてみたいと思います。
いしだあゆみの訃報
日本の音楽・映画・ドラマ界で長年にわたり活躍してきたいしだあゆみさんが、2025年3月11日に76歳で亡くなったというニュースが伝えられ、多くの人々が悲しみに包まれています。東京都内の病院で、午前4時48分に甲状腺機能低下症のため逝去されたとのこと。突然の訃報に、業界内外からは多くの哀悼の声が寄せられています。
いしだあゆみさんは、その透明感のある歌声と繊細な演技で、多くの人々の心に刻まれた存在。特に「ブルー・ライト・ヨコハマ」などの名曲は今もなお愛され続けており、ドラマや映画では独特の存在感を放ち、多くの名作に出演してきました。葬儀は近親者のみで執り行われ、お別れの会については現時点で公表されていないようです。しかし、これまでの功績を振り返ると、その影響力の大きさが改めて感じられます。
甲状腺機能低下症って何?
出典:https://www.j-endo.jp/いしだあゆみさんの死因となった甲状腺機能低下症と
は、一体どのような病気なのでしょうか?この病気は、甲状腺ホルモン(T3・T4)の分泌が不足し、全身の代謝が低下することでさまざまな症状を引き起こします。特に高齢者では、症状が進行すると心不全や意識障害を引き起こすこともあり、命に関わるケースもあるため注意が必要です。
主な症状
この病気の症状は、慢性的な疲労感、寒がりになる、肌の乾燥、髪の毛の抜けやすさ、体重の増加、便秘、気分の落ち込みなど、一見すると「加齢によるもの」と誤解されがちです。しかし、進行すると、むくみや声のかすれ、筋力低下などの症状が現れ、日常生活にも影響を及ぼします。
なぜ甲状腺機能低下症が深刻なのか?
甲状腺機能低下症の最も一般的な原因は「橋本病」と呼ばれる自己免疫疾患で、日本人女性に多い
と言われています。また、甲状腺の手術や放射線治療によって機能が低下するケースもあります。さらに、ホルモンのバランスを崩すヨード(ヨウ素)の摂取量が影響することもあるため、日常の食生活にも注意が必要です。
高齢になると、甲状腺機能の低下が進んでも「年のせい」と思い込んでしまい、適切な治療を受けずに放置されることも少なくありません。しかし、症状が進行すると、最終的には意識障害や心臓への影響が現れ、命に関わるケースもあるため、定期的な健康診断や適切な治療が重要です。
診断と治療について
甲状腺機能低下症は、血液検査で診断が可能です。甲状腺ホルモン(T3・T4)の数値が低く、甲状腺刺激ホルモン(TSH)の値が上昇している場合、機能低下が疑われます。治療には、ホルモン補充療法が一般的で、不足しているホルモンを薬で補いながら、定期的な血液検査を行い、適切な量を調整していきます。
この病気は一生続くことが多いため、長期的な治療が必要ですが、適切なケアを行うことで症状をコントロールし、生活の質を向上させることができます。特に、日常生活では、栄養バランスの取れた食事や適度な運動、十分な睡眠を心がけることが大切です。
いしだあゆみのプロフィール
1948年3月26日、長崎県佐世保市に生まれ、大阪府池田市
で育ったいしだあゆみさんは、1964年にビクターから歌手デビューを果たしました。そして、1968年に日本コロムビアへ移籍すると、翌年の1969年には代表曲となる「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒット。なんと100万枚以上を売り上げ、日本中にその名を轟かせました。哀愁漂うメロディと、いしだあゆみさんの透明感あふれる歌声が、多くの人々の心を掴みましたよね。
その後も「美しい別れ」(1974年)や「港・坂道・異人館」(1977年)など、数々のヒット曲を世に送り出し、紅白歌合戦には10回出場。70年代を代表する歌手としての地位を確立しました。当時のオリコンチャートでも上位にランクインする曲が多数あり、世代を超えて愛される歌声を持つ歌手でした。
音楽活動だけでなく、女優としても圧倒的な存在感を放っていたいしだあゆみさん。1973年には映画「日本沈没」に出演し、その演技力が大きな話題に。その後も「青春の門 自立編」や「火宅の人」などの名作映画に出演し、報知映画賞や日本アカデミー賞などを受賞。ドラマの世界でも活躍し、歌手から本格派女優へと見事な転身を遂げました。音楽と演技、両方の世界で成功を収めることができたのは、彼女の持つ独特の表現力と努力の賜物だったのでしょうね。
プライベートでは、1980年に俳優の萩原健一さんと結婚し、当時はビッグカップルとして大きな話題になりました。しかし、1984年に離婚。その後、再婚はせず、芸能活動を続けながら静かに自分らしい人生を歩んでいたようです。また、実家は長年にわたり喫茶店を営んでおり、幼少期から商業の世界に親しんでいたこともあってか、食材の使い方や家庭料理に対しても関心が深かったそうです。
2020年には長年の功績が認められ、旭日小綬章を受章。この頃からメディアへの露出は減っていましたが、変わらず多くの人々に愛され続けていました。そして2025年3月11日、甲状腺機能低下症のため東京都内の病院で静かに息を引き取りました。76歳という年齢を迎えながらも、彼女の歌や演技はこれからも色あせることなく、多くの人の心に生き続けることでしょう。
まとめ
いしだあゆみさんの訃報
2025年3月11日、甲状腺機能低下症のため東京都内の病院で逝去(76歳)
午前4時48分に亡くなり、葬儀は近親者のみで執り行われる予定
突然の訃報に、業界内外から多くの哀悼の声が寄せられている
甲状腺機能低下症とは?
甲状腺ホルモン(T3・T4)が不足し、全身の代謝が低下する病気
主な症状:疲労感、寒がり、肌の乾燥、髪の毛の抜けやすさ、体重増加、便秘、気分の落ち込み
高齢者は特に注意:進行すると心不全や意識障害を引き起こす可能性あり
主な原因:橋本病(自己免疫疾患)、甲状腺の手術・放射線治療、ヨード(ヨウ素)不足や過剰摂取
診断方法:血液検査(甲状腺ホルモンとTSHの数値測定)
治療法:ホルモン補充療法(チラーヂン®Sなどの薬)、適切な食生活と運動
いしだあゆみさんの音楽キャリア
1964年に歌手デビューし、1969年「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒット(100万枚以上の売上)
「美しい別れ」「港・坂道・異人館」などのヒット曲を持ち、紅白歌合戦に10回出場
透明感のある歌声で、昭和を代表する歌手の一人として活躍
女優としての活躍
1973年、映画「日本沈没」で演技力が話題に
「青春の門 自立編」「火宅の人」などで日本アカデミー賞などを受賞
歌手から本格派女優へ転身し、数多くの名作に出演
プライベートと晩年の活動
1980年に俳優萩原健一さんと結婚し、1984年に離婚
2020年、長年の功績が認められ旭日小綬章を受章
晩年はメディア露出が減っていたが、多くの人々に愛され続けていた
いしだあゆみさんの遺したもの
歌と演技の両方で成功し、昭和・平成を通じて影響を与え続けた
「ブルー・ライト・ヨコハマ」などの名曲は今もなお愛されている
健康管理の大切さを改めて考えさせる存在となった
その功績と影響力はこれからも語り継がれていく